不妊治療を治療と思えなくなった2つの理由

はじパパ
はじパパ

皆さんこんにちは、はじめてパパになった日の筆者”はじパパ”です。

私たち夫婦は妊活を始める前にいくつかのルールを設け、妊活の目的と方法について共有しました。

医師の指導のもと治療を受ける過程で、治療と思えなくなるようなネガティブな感情を抱きました。本記事ではその時に感じたパパとしての気持ちをそのまま書き綴りたいと思います。

おことわり

本記事の内容はあくまでも私個人の意見・見解であり、特定の考えを肯定や否定するものではありません。

”世の中にはこんな風に感じる人もいるんだな”程度の受け止めで、新米パパの等身大の思いとしてあたたかく見守っていただければと思います。

はじパパ夫婦と不妊治療

妊活を始めるにあたり私たち夫婦は妊活のゴール、目的とその為に必要なプロセス(過程)について時間をかけて話し合いました。

◆私たちにとって妊娠とは授かりのものであるということ

◆なるべく自助努力を高めてゴールを目指したいということ

◆体外受精や代理出産は私たち夫婦が考える理念、方向性とは異なり選択肢とはしないこと

ここでトピックスとして挙がるのが【どの程度の不妊治療を許容し受け入れるのか?】という事でした。

結論から言うと上述した通り私たち夫婦は体外受精・代理出産を除いた他の治療(内服治療や人工授精)は、治療として受け入れようと事前に決めてからクリニックに通い始めました。

内服治療とタイミング法

定期的な通院を始めてから、内服処方がなされるまでにそう時間はかかりませんでした。女性ホルモン量の関係で高温期が長く続きづらかった妻ですが、それを補う為の薬が処方されました。

当然内服の効果によって高温期が持続し、治療という側面からも2人の目標に近づきましたが、思えばこの頃からネガティブな感情が芽生え始めていたんだと思います。

仮に妊娠するのであれば自然の流れに身を任せるのが一番倫理的であり、他人や医学の補助など無い方が良いと心の片隅では感じていたからでしょう。

診断名と妻が背負った自責

タイミング法によるアプローチが実らずに4回、5回と月日だけは流れました。妊活開始当初はポジティブだった2人ですが、この頃になるとそうは言えなくなってきたのです。

お互いに言葉にこそしませんでしたが、当初想定していた妊活とは異なる違和感を感じていたからに他なりません。

妊活に対するイメージの変化

妊活開始前:2人で協力し、試行錯誤を繰り返しながら未来を想像するイメージ(能動的)

変化後:医師の指導の通りに月に1度訪れる機会を待つイメージ(受動的)

『医師が推奨するまま作業のように』とまでは言いませんが開始前に2人で舵を取り動き出した妊活という船ですが、いつしか医師が操縦するクルーザーに乗っているような気分に変化していました。

私の身体が悪いの?

当初から思い描いていたストーリーとは異なる現実を受け入れられなくなり始めた妻が不意に発した一言でした。また医師から処方がなされるという事は、すなわち何らかの診断名(診断疑い)がつくということです。

妊活を行ったことで妻には病名がつき、更には自身に不良があるのではと自責感に苛まれる事になりました。

これが不妊治療を行うことの副作用・デメリットの1つであり、筆者にとっても全く予想していなかった出来事でした。

妻は上記のように常に思い込んでいたのではなく、一時的なものではありました。しかし筆者は直接的に解決してあげられない自分に対して自責感。自責が自責を呼ぶ負のループ状態です。

治療の変化と夫婦の限界

気持ちまで沈んでいると良くない出来事も私たちの負のオーラに誘われ寄ってくるものです。

黄体ホルモン機能不全と診断された妻に対し、医師は畳み掛けるように言い放ちます。それは身体の構造が少し特殊で、妊娠率を下げている原因の1つであるということでした。

タイミング法で期待されたような効果が得られず医師から進められた次のステップは人工授精でした。自分らで舵取りを行えず、医師に薦められるがままに治療を受け入れました。

人工授精と激しい痛み

治療を受け入れる妻を見ていることしか出来ない私にとっても不安だけが強まっていきました。採精カップを持参し同じく不安な面持ちでクリニックへ向かった妻ですが、治療後に待っていたのは出血と強い痛みだけでした。

『妻の子宮は一般よりも前傾度合いが強く、精子の通り道が狭くなっていて通れなくなっている』

これが先述した構造上の問題ですが、人工授精をするにあたり狭い道を器具等でこじ開けるようにして精子を注入したそうです。その上医師は無情にもこんな言葉を言い残しました。

「注入したい目標の所には届かなかった、けどその手前だからたぶん大丈夫だと思う。」

もちろん担当医師は尽力してくださったと思いますが、帰宅後も血を流しながら強い痛みに寝込むという代償を背負った妻にとって、期待される効果が通常以下という現実はあまりに残酷でした。

いったい何をしたいんだろう?

新しい命を願うはずが何故こんなにも妻だけが痛み、苦しまなければならないんだろう?とひたすらに自問自答する日々がしばらく続きました。

◆妊活ってこうゆうことなのか?

◆皆はこの痛みを伴う通過儀礼を乗り越えてきたのだろうか?

私よりもダメージを受けているであろう妻が気丈に振舞う姿を見て、改めて女性の強さを痛感していた私は気づけば次のような言葉をかけていました。

「次の治療が終わったら、1度妊活をお休みしませんか?」

ここ数日ずっと思っていた言葉を遂に発してしまいましたが、妻が大きく頷いたことには驚きました。

心身ともに痛みを伴う治療の主役である妻に対して、出来る限りのサポートはするが実際はほぼ傍観者同然の私。受け止めに対して多少の温度差はあると思っていましたが、妻自身も医師主導で妊活をやらされているような感覚に陥り疑問を抱いていたようでした。

意見が一致した私たちは次の治療が上手くいかなければ、少し気持ちを休める期間にすることに決めました。

卵管造影と妊娠の発覚

本来であれば意見が一致した時点で通院を一旦キャンセルしても良かったのですが、既に卵管造影検査の予約をしていたこともあり受けることにしました。思えばこの選択が大きなターニングポイントになるとはこの時は知る由もありませんでしたが。

帰宅後の妻は鈍痛こそ感じていましたが、人工授精の時と比べると問題ないく日常生活を送れるほどでありました(どんだけ痛かったんだろう…)。

『妊活の休憩』は、夫である私にとっても次のような変化をもたらしました。

妊活休憩前

◆妻の基礎体温を毎朝気にしちゃう

◆ルナルナから送られてくるメールを熟読

◆スマホのカレンダーに生理予定日を記録しては一人ソワソワ

妊活休憩後

◆これまで通り何にも気にせずに、気楽に自然のままに妊娠を待つスタイル

嗚呼、青天の霹靂

「さぁ、妊活をいったん休憩しましょう」といって完全オフスタイルに切り換えられたのは、どうやら夫である私だけであったようです。私は今まで拡げていたアンテナを一旦ほぼ完全に片付けて、何も意識せず夫婦2人の時間を堪能していました。

その日は某アウトレットパークでデートをしていました。秋の入り口とはいえ暖房のきいた暑過ぎるくらいの店舗でしたが、寒がる妻を見てふと…。

「妙に寒がるな」→「体温高い?」→「…ん?」

この瞬間、数週間は完全に忘れていた感覚や感情がリフレイン。いい具合に妊活休憩中だった私にとって妊娠の知らせはまさに青天の霹靂でした。

本記事のまとめ

今回は妊活開始から終了までの気持ちの変化、なかなか上手くいかないことによる夫の葛藤に焦点を当てて記事を進めてきました。

我が家のケースではこのタイミングでの妊娠発覚となりましたが、もしも最後の卵管造影を見送り妊娠していなかったとしたら、あのまま冬が明けるまでの半年程度は『休憩』していたと思います。

時間や年齢的な問題から『一旦休憩』などと悠長なことは言っていられないとお考えの方もいるでしょう。しかし煮詰まり考えすぎることで自分やパートナーに知らず知らずに負担がかかり、却って妊活にとって不向きなメンタル、不用なマインドを形成する原因にもなり兼ねません。

青二才夫婦が向き合った妊活体験談が、どこかの誰かのお役にたてればと思い今回記事として掲載させていただきました。長文、乱文ではございますが最後までご閲覧いただき有難うございました。

以上、ブログ【はじめてパパになった日】でした。ご助言やご意見はコメント欄に残していただけると幸いです。

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